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旧服部邸の歴史

旧服部邸旧服部邸がつくられたのは昭和8年であり、当初は清水屋としてよろず屋を営み、祭りの時には宿屋にもなっていたそうです。写真は昭和10年のもので、設立者である曽祖父の服部銀次郎とその妻のよ志ゑが店の前に立っています。

祭りの写真では旧服部家の庭に山車がきてからくり人形を演じているところが映っています。楽田にも昔は山車がありましたが、いまは諸桑神社の倉庫に安置されているそうです。
旧服部邸その後、第二次世界大戦がはじまり、小牧市の自衛隊基地が何度も爆撃にあい、楽田からも救護活動に行きました。旧服部邸も機銃掃射を受けたことがあり、壁の鉄板をはがすと銃弾の跡がありました。
旧服部邸昭和32年には、旧服部邸の横に産院が建ちました。助産師は私の祖母の服部富美であり、子供のころから出産の話をよく聞かされました。

出産後に子宮が収縮せず出血が止まらなかった話や、口蓋裂のために母乳が口からあふれてしまい泣きながら授乳していた母親の話しなど、つらい話が多かった記憶があります。

昔の出産がいかに大変なことだったのか、祖母から教えられました。いまでも楽田の方から、「あんたのおばあさんに取り上げてもらった」と言われることがあります。出生の手助けをする重みが、昔と今とでは異なっていたのかもしれません。
旧服部邸昭和34年は、伊勢台風が直撃した年でした。母の富佐子が「大変な暴風が突然止んだと思ったら、反対側から風が吹き始めた」と話していましたので、丁度台風の目が通過したのだと思います。

近くの諸桑神社の木が全て倒れたくらいですから、楽田にもかなりの被害があったと思います。旧服部邸も屋根瓦が吹き飛んだそうです。
旧服部邸平成になり、祖母は脳梗塞で倒れたため、旧服部邸は主に介護の場となりました。時々昔からの友人がこの場に集まってお茶とお菓子で楽しんだそうです。

まだ介護保険制度が整っていなかった時代でしたので、自宅介護に限界が来て施設入所となりました。もし私がもっと早く医者になって在宅医療を始めていれば、祖母はもっと長くこの場所で生活できたかもしれない…と思うこともあります。
旧服部邸令和に入ってからは、あまり人が入ることはなくなり、主に法事の時や、親戚が大勢集まる時に使われるのみとなりました。

老朽化が進み、そのころから取り壊しの話が出てきました。使われている木材が今では手に入らないような立派なものでしたので、新しいクリニックの社屋に主要な木材を使わせていただきました。
旧服部邸曽祖父の服部銀次郎の名前が書いてある木もあり、この新社屋の旅立ちを見守ってくれているのだと思います。
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