結ファミリークリニックの皆様へ

「ヘルパーとして働きし吾なれば母の急なる衰弱目に見ゆ」
「ミキサー食となりゐる母の好物を思はず手に取りそしてまた置く」
「老い母の食事介助の長ければ夫は幾度も部屋を覗きぬ」
「眼閉じ居眠るごとき母の口にスプーン運びつつ眠気がおそふ」
「在宅にて看取る時間の長きほど母と語れる吾の幸せ」
「白寿にて笑顔絶やさず逝きし母多くの人の支へのありて」
「孫子らに白寿を祝はれ逝きし母ありがとふよの言の葉遺し」
「在宅にて天寿を全ふしたる母ありがとふよが口癖なりし」
「母とても喜びくれむ孫子らが揃ひて見舞ひくれたることを」
「兄の来るを待ちしか声を聞き逝きぬ母の最後の心遣ひやも」
「逝きし母を小まめに看くれし夫なりぬ感謝の思ひ自づ湧き来る」

毎日厳しい暑さが続いています。全国的な猛暑の中、皆様お変わりございませんでしょうか。その節は誠にありがとうございました。親身にお世話して頂き本当に感謝しております。お陰様で、私自身も不安なく在宅介護が出来たように思います。
七月四日に○○の葬儀をとりおこないました。家族葬でしたが、孫五人曾孫十一人も全員揃い、白寿まで元気だった母なればこその賑やかな葬儀となりました。母もきっと喜んでくれたことでしょう。親族間の絆も深まった気がします。妹も、一緒に暮らしている看護師の嫁と、「在宅医療」っていいね。と話したと言っていました。これも、結クリニックの皆様とウィルケアの訪看の方々のおかげです。
火葬場でお骨を拾う時も、「肩の関節、骨盤、指の関節がきれいに残っていますね」と言われました。ぎりぎりまでポータブルトイレで排泄し、すました後もズボンを上げるまで両腕で踏ん張っていた母を思い出し、「お母さんもしんどいのに頑張っていたんだ」と、泣けてきました。「お母さん、トイレにも行けなくなったら寝たきりになるよ!」と叱咤する私に、「ありがとうよ」と返してくる母でした。私ってきつい娘だなと自分でも思ったものです。実の親だから言えたのかもしれません。結局は、母に甘えていたのかなとも思います。
老衰だからいつ逝ってもおかしくないと自覚はしていても、その場になると「もっと看ていたい」と思うもののようです。それだけに、在宅で看取ることができて本当に良かったです。いつも仏壇に手を合わせて、「じいちゃんばあちゃん、○○も弱ってきました。子供達に迷惑をかけないように、どうか安楽死させてね。○○のお願いです」と拝んでいるのを聞きながら、「安楽死じゃあないでしょ」と笑ったものです。自分の母親が病院で意識がなくなったまま三年間、兄弟が交代で看取ったことが頭にあったのでしょう。病院に入ると延命治療になるから嫌だといつも言っていました。

デイサービスにも、ぎりぎりまでお世話になりました。あの状態で受け入れて頂けるとは、初め思っていませんでした。「行けば向こうで看てもらえるから行かせなさい」とおっしゃって下さったので、持ち前の気楽さもあり、デイサービスを利用し、自分の時間も取りながら介護が出来たように思います。
皆さんから、自宅で看るって大変だったでしょうと言われますが、全くそんなことは無かったです。これも、結クリニックの鈴木先生に在宅診療をして頂けたからだと感謝しております。ウィルケアの訪看の方にも毎日来て頂きアドバイスを頂きました。心強かったです。多くの皆様に支えて頂いたなあと思います。
葬儀の後で和尚さまが「おばあちゃんは早くに視力を失って、きっと苦労も多かったと思いますが、年をとってもこんなに素敵な笑顔でおられるのはお幸せだったと思います。幸せは自分の気持の持ち方次第だと切り換えの出来る方だったのですね」とおっしゃって下さいました。母は強い人だったと改めて思います。
夫も認知症になる以前は、母の面倒をよく見てくれました。母も「○○さんは、娘よりも優しい」とよく言っていたようです。夫の理解があったからこそ母を最期まで看取ることができたのだと思います。これからは夫と仲良く二人で出かけるつもりです。本当にありがとうございました。皆様どうぞ無理をなさいませんようご自愛くださいませ